花魁淵編 [page1]













 平成15年8月11日、ピフィアさん、kuniさんと小峰トンネル近くの公園で待ち合わせをしました。

 自宅を出発、渋滞に巻き込まれながら、途中心霊スポットで有名な相模外科病院跡、八王子城址近く、都営八王子霊園電話ボックス前を通り、午後4時30分頃合流しました。


 スポット探索には、まだ日が高く時間も早かった為、青梅で夕食をとることにしました。

当初、私は探索に参加しないと考えていたのですが、ピフィアさんの「ゾクゾクする体験したくない?」という言葉に誘われて、探索に同行する事にしました。この時は、まだこれから起こる出来事など・・・考えてもいませんでした。


 そうこうするうちに時間が経ち、青梅の山々に夏の太陽が沈み始め、私達は2日目最初の探索地に向かいました。

 青梅から青梅街道を走り、山梨県塩山方向に向かいました。

 奥多摩を通り、奥多摩湖が見える頃には、日が暮れて辺りは暗くなっていました。

 奥多摩湖の周辺には、やはり有名な心霊スポット、大麦代トンネルがあります。

 このトンネルを通過、山道にさしかかり、街路灯も無くなってきました。

 山道を更に進み、すれ違う車が少なくなってきました。

 いよいよ、有名な心霊スポット「花魁淵」に近づいて来たようです。


 ここで花魁淵について、簡単に紹介したいと思います。

 戦国時代、この周辺には黒川金山(隠し金山)があり、武田家が仕切っていました。

 その金山労働者の為に、遊女(花魁)がいました。

 しかし、金山が閉山。

 この隠し金山を知っていた花魁たちは、その後口封じの為、崖に設けられた舞台の上で踊っている時に舞台を壊され、舞台と共に崖下に落とされたと言われています。

 その花魁の人数が、55人といわれています。

 ここには、花魁を供養する為の「おいらん堂」というお堂があります。

 また、花魁淵といわれている場所から200mほど上流にいったところが、真の花魁淵であるとされています。


 ここでの噂としては、この周辺で原因不明の事故が多発している、またこの場所で、原因不明の自殺があったとも言われています。

 交通事故の原因としては、ハンドルがきかなくなる、女性が車の前を横切るといわれています。

 この場所で、記念撮影をすると不思議なものが写るとも言われています。

 山道を更に進み、花魁淵に到着しました。

 関東遠征2日目、いよいよ最初のスポット探索が始まります。


 探索日時:2003年8月11日19時30分〜
 探索メンバー:管理人ピフィアさん、副管理人kuniさんと私(WOO)の3名




 花魁淵の供養塔の前に、ちょっとしたスペースがあります。

 この場所に車を停め、探索開始します。

 急遽、探索に参加する事になった私は、ライトを持っていなかった為、kuniさんにLEDライトを借り探索する事にしました。

 車を降りると、ザァーという、渓流の音が聞こえます。

 この供養塔を写した写真ですが、オーブらしきものが写っています・・・。



 花魁淵供養塔のスペースには、このような観光案内板があります。

 噂にもある、真の花魁淵はどこにあるのでしょうか。

 また、55体の花魁を祭っているおいらん堂は、どこにあるのでしょう。

 この案内板から、2箇所の場所を特定する事は不可能なので、とりあえず供養塔の周囲から調べたいと思います。



 供養塔前の、車を置いたスペースの先には、このような場所があります。

 正面に、白い手すりの様なものがあり、下の方に向かっています。

 下に降りていく事ができるのでしょうか。

 進んでみることにします。



 少しだけ、移動して同じ場所を撮影しました。

 ピフィアさんによると、この写真の中央の右側にいるそうです。

 私も見えました。

 撮影した時は、この場所には私達3人しかいませんでした。



 更に、手すりの部分に進んでみます。

 すると、今まで渓流の方に下れると思っていた所が、途中で行き止まりになっています。

 森の木々で隠れて、ここから花魁淵を見ることができません。

 一体なぜこのような場所を造ったのでしょうか。



 正面の手すりの先端まで来ました。

 下を覗いていますが、渓流の方まで、行けそうにありません。

 下にあると思われる、おいらん堂には、どうしたら行けるのでしょう。



 同じ地点で、柵の右側を見ます。

 すると、この場所で、ある一部分を示したピフィアさんが、「ここは明るさが違うね」「なんか他とは違うよね」と言っています。

 その場所を写真に撮ると、たくさんのオーブが写りました。


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