多○小学校芹○分校廃墟編 [page4] |
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●トイレ 3つある個室がすべて板を打ち付けられ封印されています。 かなり嫌な空気が漂っているように感じます。 ちょっと覗く気にはなりませんね。 |
●トイレ 男子用の小便器を撮りましたが、こちらもやはり手前に見える個室が封印されています。 なぜ封印する必要があったんでしょうか?? |
●宿直室A 宿直室でしょうか? この画像は師匠が撮ったものですが、師匠が撮った中でこの画像が一番強く霊気を感じるそうです。 この部屋に隣接する部屋はみな入口が狭く、2人は別々の部屋を探索しています。 この時私は・・・ |
●宿直室B 上の部屋を師匠が探索している時、私はここにいました。 窓は雨戸が閉められた状態です。 そんなことより、後で気付いたのですが・・・・ 画像左下方の影は何でしょう? この影が私のものだとすれば、後方からの光源がなければなりません。 しかし私たちはこの時別行動をしており、師匠はいません。 もちろん私のカメラのフラッシュで何かの影ができたわけではありません。 この影は何だったのでしょうか? |
●宿直室C 次の部屋に来ました。 これも私の画像です。 雨漏りが原因か畳が腐って抜けています。 そして・・・ここにも影が! 上の画像と比べると分かり難いかもしれませんが、やはり画像の左下隅に影が写り込んでいます。 さらに! |
●宿直室C 上と同じ部屋の奥を撮ったものです。 窓は異常なほどガチガチに封印されています。 しかしここでも気になるのは影です。 今までで一番ハッキリと影が写っています。 同じ部屋の師匠の画像には影らしきものは全く見当たりません。 ひょっとして、師匠が私に何か言っているようだと言っていたあの霊が私について来ている?! 今これを書きながら背筋がゾッと寒くなってきました。 実は今、左肩が痛いです。 |
●厨房 厨房です。 ここで給食を作っていたのでしょう。 ここも窓には板が貼り付けてあります。 影は?・・・・・・ 写っていないようです。 |
●洗濯機 細い通路の奥には洗濯機がありました。 おそらく厨房で使ったさらしや布巾などを洗っていたのでしょう。 これで一応の探索を終えました。 そういえば、未だに後から来た肝試し軍団が入ってきません。 暗闇の廃校にバシバシ光るフラッシュに恐れを成したのでしょうか。 では、後続に道を譲りましょう。 |
●一階正面入口 無事戻ってきました。 しかしここで事件は起こりました。 師匠が先に表に出て、続いて3メートル後ろにいた私が出ようとしたその刹那! 私の後方で「バッターン!」という重い厚みのある木の板が倒れるような大きな音がしました。 私はビックリして後方を振り返りましたが、他の侵入者は誰もいません。 師匠はと見ると「kuniさん、どうした?」とすっ呆けたことを言っています。 「どうしたって、今重い板の倒れるような音がしたでしょ!」 その答えは「何も聞いてないよ」でした。 師匠はあの音を聞いてはいなかったのです。 たった2〜3m離れていただけなのに、あの音が聞こえなかったはずがありません。 一体これはどういうことでしょうか? |
この後、私たちは土砂降りの雨の中、滑る土手を上り、10人ほどの肝試し軍団の畏怖するような視線の中、車に戻りました。 次なる目的地をナビにインプットし、車を走らせるとスグ廃校への道しるべとなった「情報提供のお願い」の看板のところまで来ました。 ついでだからと、生後間もない嬰児が遺棄されていた現場と思われる橋の写真を撮りました。 |
●嬰児死体遺棄事件の現場 通称「学校前橋」だそうです。 この川の中から生後間もない嬰児の遺体が発見されたといいます。 拡大するともう少しわかりやすいですが、雨とは違うモヤのようなものが写っています。 それから中央やや左上の妙な形をしたオーブ状のものは何でしょう? 師匠はこの画像を見て「川の中から多くの気配を感じ不気味」だと言っていました。 |
編集後記 この廃校の探索は、この前に行った「恐怖の遺跡・土倉鉱山」で極限の恐怖を味わった後だっただけに感覚が麻痺していたのか、探索中はさほど怖い物件とは思っていませんでした。 しかしこうしてレポートを書くに当たって、画像を吟味し記事を進めて行くうちに「ここも侮れない物件だぞ」と感じています。 考えてみれば、「恐怖の遺跡」で危険に遭遇した私たちには「家に帰るまでうさぎっ子を守れ」と堕天使さんに命じられたお坊さんが守りについていたわけで、師匠の感覚が鈍るのももっともな話です。 それでいて、最後には警告でしょうか?あの大きく重い板が倒れるような音。 しかもすぐ側にいた師匠がその大きな音を聞いていないという事実。守りのお坊さんがついていて、これだけ不思議な現象が起こっているのですから・・・・ さらには記事を書いていると左肩に痛みを覚えることなど、今までには無かったことです。 どうやら私も「零感」とは言えなくなって来たようです。 これからは霊感1ということにしようと思います。(笑) ちなみにこの滋賀の探索ツアーは、この後いくつか行ったのですが、レポートにできるのはここまでです。 ひとつ今でも非常に気になっている物件があるのですが、その物件は土地に絡んだトラブルがあり、人的な意味で非常に危険が大きそうだということで、途中まで歩いて近付いたのですが断念しました。 あそこへは今後も行くことはないでしょう。 次の私のレポートは奈良県某所「通称:鎌屋敷」編の予定です。 副管理人:kuni 今回探索した廃校は過疎化が進む農村の川沿いに建てられた、分校廃墟です。 山間部の谷間に有るこの分校は、先のレポでも紹介しました土倉鉱山が栄えていた頃は児童数も多く分校としては随一の規模と施設を誇っていましたが、昭和40年の鉱山閉鎖に伴い過疎化が進み、1993(平成5)年3月に閉校となってしまいました。 土倉鉱山にてかなり怖い思いをした私達は、そのショックから醒めやらぬまま次の目的地でもある分校廃墟へと向かいました。 分校廃墟には普通なら迷ってしまうような山間部の細道なのですが、目的地がピンポイントでナビに入力されているので迷う事無く到着する事が出来ました。 最初に私達を出迎えてくれたのは、嬰児の遺体遺棄事件についての情報を募る看板です。 人気の無い道沿いに立てられた情報提供の看板付近からは既に濃い空気が流れ、降り続く雨がそれに一層拍車を掛けるかのように私の気分を鬱にさせます。 情報提供の看板から少し進むと、目的地の分校廃墟が見えて来ました。 かなり古い校舎をイメージしていましたが、一見「生きている校舎?」と見間違える程、外観は綺麗な状態でした。 どうやら綺麗に見える校舎は新校舎のようで、新校舎の裏にはかなり傷んだ旧校舎が建てられていました。 旧校舎は高い丘と、周りを取り囲むように背丈ほどの草が茂っているので侵入は難しそうです。 まずは新校舎から探索し、連絡通路から旧校舎に向かい探索する事にします。 新校舎に入った私達は各教室を探索する事にしました。 新校舎は外観はかなり綺麗に見えましたが、内部は床や天井がかなり傷んでいて雨漏りもしています。 夜の廃校なのでかなり濃い場所を想像していましたが、それ程感じる事無く順調に探索は進みます。 途中、一台の車が校舎の外に駐車しました。 「がやがや」と外から騒がしい声が聞えてきます。 どうやら他の探索者が来たようですが、校舎に侵入してくる気配は無いので、私達が探索を終え出て来るのを待っているようです。 何となく外に気が向き探索に集中出来なくなってしまいました・・・ とりあえずあまり待たせるのも気が引けるので、少し急いで探索する事にします。 少し急ぎ気味に新校舎を探索した私達は、1階の連絡通路から、旧校舎に向かいました。 旧校舎は新校舎と違いかなり濃い雰囲気です。 何者かに見られている気配がするので、「外で待っている探索者が入ってきたのか?」と思いましたが、足音などは聞えないので、どうやら気のせいのようです。 「多分、この時私達は霊に囲まれていたのでしょが意識が外に向いていたので私は気付く事無く探索していました。」 「この後、私とkuniさんは別行動で探索しましたが、どうやらkuniさんの方に集まった霊たちは憑いていったようです。」 「かなり嫌な雰囲気がする部屋も有りましたが、それほどの恐怖を感じなかったのはkuniさんに憑いて行ったからなのでしょう。」 急ぎ気味に旧校舎の探索を終えた私達は、最後に新校舎の入口付近を撮影する事にしました。 私はkuniさんより先に外に出て、新校舎入口を外から撮影していました。 kuniさんはこの時、下駄箱付近の廊下にいましたが、突然ビックリした様子で「何か凄い音がした!!」と騒いでいます。 私は外にいましたが、kuniさんとの距離はそれ程離れていないので、大きな音がすれば気付いたはずですが、私は全く音には気付きませんでした。 それでもkuniさんの青ざめた様子から、只事ではないと直感したので校舎から離れる事にしました。 私達が車に戻ると、待ちかねた様に次のグループが廃校に向かい歩いていきます。 kuniさんが聞いた音が妙に気に掛かるので、次の探索者が何事も無い事を祈りながら廃校を後にしました。 最後に嬰児の遺体遺棄が有ったと思われる川を撮影して、再び廃校の前を通った時には先ほど探索に向かったグループは既に帰り支度をしていました。 彼らの廃校探索は時間にして約10分くらいだと思いますが・・・ 何か怖い思いをして逃げ帰った来たのでしょうか? 「何かあったのか?」と聞いて見たい気もしましたが、まぁ大体想像出来るので止めときます。 とりあえず今後彼らに何事も無い事を心より祈ります。 管理人:ピフィア |